とりあえず音楽の話だということにしておかないと

一緒にユニットを組んでいる、在阪のノイズ・アーティストから退院祝いのメールをもらう。まあ快気祝いとは言えないので退院祝いだ。つーか快気祝いは見舞ってもらったこっちがやるものを指すわけだろ。ああぐちゃぐちゃ。
頭部など傷めるとそれだけでまともな人間あつかいされないのが世の常だが、おれの場合もとからおかしいんだからぐちゃぐちゃ言うのは仕方ないことであるのでいまさらどうでもいい。ただ、自分からあんまり言い訳にはしたくないなあとおもう。今後おれがどんな妄言を吐こうが、それはもとよりそうなのであって頭を打ったせいではない。頭を打ってからますます磨きをかけておかしくなったと言われるなら、それはそれで甘受しよう。と少なくとも自分にはそう言いきかせておかないと寂しくなるわ。
で、体調を気遣っていただいて恐縮することしきりなのだが、耳のテストと称して彼が先日やったソロライブの音源を送ってもらい、聴き入る。
やっぱこの人おもしろいなあ。八神純子の曲をこんなふうにしてしまうと、もう愉快きわまりないですな。しかしなんだかんだと長いつきあいになりますね。そもそもおれが関わった音をほとんど漏らさず聴いているというところからつきあいがはじまったのだが、その辺がすでにもう変な人だ。
来年2月にアメリカ5か所でライブを行うとのことだ。NYではサーストン・ムーアとの対バンの話もあったのに日程があわなかったそうだ。「ソニック・ユース別に好きでもないですし(笑)」ってあなた(笑)。あっちがあなたの音好きで聴いてるんじゃないですか。ちょっと無理して調整するとかしてやってあげればいいのに。喜びますよって。むしろサーストンに八神純子を覚えさせて弾かせてみるとかどうですかと提案してみた。多分おれは呆れられてる。いいです。一緒に演奏してくれれば。
弾けないときに弾きたくなるというのは動機としてはあまりにも当たり前すぎて弱い。弾かないことをかんがえたほうがよいような気もするが、声のことばっかりかんがえてるときにこういう目にあうのだからまったく難儀な話である。そういうやり方でしか人生においてものごとの帳尻をあわせられないならとてもだらしなく小賢しいような気もするが、こうやってすぐリフをつくろうとするのでまあいいわ。
ゆっくり治そう。
「完全に重傷ですやん。全治2か月だとねぇ」
言われてみりゃそうだ(笑)。


やらなきゃならないことはまだほかにもあるのよ。ふう。