こちらはかなり大きな山を越えた模様

△△病院の耳鼻科外来へ。
まずは聴力検査を受ける。以前やったものと同じで、要領も同じだ。あと、前回あたりからちょっと変わった検査を施されたのだが、あまり気に留めずにそのままぼーっと受けていた。どういうものかというと、耳にスポイトのようなものを挿し入れて、押したり引いたりして空気圧をかけるのだ。これによって鼓膜がどのように反応するのかをみるらしい。あとで診察時に医師に質問してわかった。
さて、その診察だ。
左顔面神経麻痺についてだが、まずは例によって百面相をしてみる。そして、きのうから左目でウインクができるようになったと自己申告し、医師の指示を受けて実演した。ああ、もうずいぶんよくなりましたね、安心しました、と彼は言う。顔のつっぱりとかはないですかときかれ、左目でウインクできるようになったら急に左下瞼がぴくぴくしはじめましたと答えた。もちろん治りつつある証左だとわかっていての返事だが。さらに、やっぱり顔の筋肉のこわばりは左右どっちもありますねと答えた。もちろんこれらも時間経過によって回復するものなのだろうということもわかっている。
続いて医師は検査結果を見ながら説明をはじめた。左耳の気導はほとんど回復している。普通の患者ならこれで診察は打ち切りとして、あとは安静にして自然治癒による完全回復を待つように医療指導するとのことだったが、おれがベースをやっているということを鑑みて(この先生にとってはベーシストでとおっているのだった)もう少し丁寧にみると言った。上述した鼓膜の検査は、左右まったく同じ結果を示しているそうでほぼ完治らしい。ただしまだ若干左鼓膜に薄い部分が見られるので、強く鼻をかんだり、ちょっと鼻がつまって耳の奥がごぼごぼしたとしても、いわゆる「耳抜き」などはしないようにと注意された。わかりました。
入院していた病院での処方薬を尋ねられた。きょうここへ来る前に行ってきたのだがまたプレドニンを30mg出されたと答えると、そろそろ切ってもいいんじゃないのかなあと呟いていた。
まあとにかくしっかりと快方にむかっているようで安心です、回復の早さは、このくらいの大怪我にしては驚異的ですよ、と医師は言う。おれも大きな山を越えたなあと安堵した。しばらくは左右できこえ方が違って、バランスがおかしく感じるのは仕方ないけどね。ヘッドフォンでモニタしたときなんかとくにそうなるだろうけど。まあ片耳だけでも各楽器のバランスぐらいはわかるしね。定位は別としてモノラルでミックスしてもそれぞれのパートの音量の違いは掴めるだろうし、とつらつら語り続けた。
先生、中途半端に音楽に詳しすぎです(笑)。
手の状態も軽くみてもらった。まあ大丈夫のようだ。
というわけで来週の火曜日、年明けの1月4日にもう一度聴力検査をしようということできょうの診察を終えた。気分はとても晴れやかであった。


耳鼻咽喉科というのはよくよくかんがえると、医学のなかではとてもマニアックな領域であるのかも知れない。人間の感覚器官をまとめて専門としているのだから、人間的にも一風変わっているのかも知れない。いや、けっしてわるい意味ではない。スポーツ選手に整形外科その他を専門とする顧問医がついているように、音楽家には耳鼻科をもっぱらにする顧問医がよき理解者として求められるのではないだろうか。
(↑本気度60%)

  • しかしながらさらにもうひとつの大きな山が

夕方ごろ、大学時代の友だちからメール。入院前中後には心温まるお叱りの言葉を受けた。ありがとうね。
夜半、かつてつきあっていた恋人から電話がきた。ずいぶんと久しぶりであるうえに、まさかかかってくるとはおもわなかったので意外な感じもした。いただいた電話で恐縮ではあるが、怪我の経過報告をした。彼女はこう言ってのけた。
「話きくとたしかにすごい怪我だとおもうしさ、「驚異的な回復」って医者が言ってたってきかされたら普通は「すごいねえ」っておもうんだろうけどさ、なんか「ああ、やっぱこの人ってそういう人なんだね」って納得しちゃうんだよね。「やっぱこの人ってものすごい生命力なんだねえ」って」
おれをゴキブリのように言うなっつーの(笑)。
このように彼女から電話がきたことがきのうの墓参が引き起こしたことであるのは、あとづけの理屈だとしても明確であるとしか言い様がない。おれはかかってくるとはおもわなかったので「あとづけの理屈」だと言っているわけだ。
まだ片づけておかなければならないことが残っているようである。あらためて年明けの墓参の必要を確認した。