「寝だめの時期」なのか、はてまたそれとも

起きたままで食事。朝からかなりがっつり食ったわ。
ろくに食休みも、まして洗い物の片づけもせずにベースいじり。コード進行が決められているトラックを使って自由に弾くのは楽しい。わざわざ自分でそういうトラックをつくってそれにあわせて弾いているのだから「自由に」アドリブを楽しんでいる一方で作曲をしていると言ってもよいのではないかととらえる読者諸氏もいるかも知れないが、これはやはりアドリブにすぎない。作曲のモチーフとなりうるものも生じたりするが、それを実際に作曲行為にまでもっていくのはまた別の営みである。根本にあるのは「楽器演奏を楽しむこと」なのだ。
ここであらためて書いておこう。どうしておれは、受傷後の指の運動練習や楽器練習を「トレーニング」と呼ぶのか。そう呼び続けているのか。以前の日記(id:mackerel_can:20041221)ではこう書いている。

生活のなかで左手を使ってだんだん慣らしていくのが文字どおりリハビリであって、楽器演奏ができるレベルまでもっていくのは一種の「トレーニング」かもしれない。脳は動きを覚えているからゼロからのトレーニングじゃないわけだが。

楽家や楽器奏者にとっては、楽器を手にし自在にあつかうことは本来日常生活においてごく普通のことなのだろう。そうした人々が怪我を負っておもうように楽器をあつかえなくなり、身体の諸機能を回復して日常生活に戻るということ、つまり楽器演奏ができるようになるまでに戻るということは、まさに文字どおりの「リハビリテーション」なのだろう。
おれはそれを踏まえて、あえてこれまで「トレーニング」と書いてきた。そう呼んできた。
わざわざ「トレーニング」などともったいつけて書くと、おれにとって楽器演奏とはまるで日常のことではないかのように誤解を受けそうである。生きていくうえでとくに必要もない、どうでもよいことのように。
いや違う。おれは演奏を楽しんでいるのだ。自分がつくったトラックにあわせて弾くことをおもいっきり楽しんでいるのだ。今回の受傷後はやっていないが、他人とスタジオに入って一緒に演奏することも楽しいのだ。楽器練習が好きなのだ。だから「リハビリ」ではなく、それを超えて己を鍛える「トレーニング」として練習が位置づけされているのである。音楽学校に入学してひたすら楽器練習を「させられて」いると感じているような人々には、申し訳ないが「なんで楽しくもないことをやってるの?」と問い質したい。
そしてこれは、生きていくうえで必要なことなのだ。


そんなんでもう9時だぜ。はあ。寝る。


13時半すぎに起きる。たいして寝てねえ。
二度寝しようとおもったが銀行へ行かなきゃならないのだととおもい起きることにした。
14時19分づけできのうメールを送った得意先からメール。ご高配を賜った。
とにかく身支度して外に出て三井住友銀行で雑務処理とか*1
帰ってきて17時ごろまた寝る。


20時15分ごろ起きる。ふう。トイレ起きなので眠い。
やっぱりまた寝る。


0時20分ごろ起きる。ふう。少し頭がすっきりした感じ。
21時26分づけで


朝方に酔っ払いの友だちがオンラインになったのだが、すんげえ早起きじゃん。きょうはたしか卒論発表会ではなかったか。声をかけてみた。
準備のほどなど尋ねてみたが忙しそうだった。
おれはこんな状態だ。寝ることにした。
ふう。

*1:いずれこんなことも書かなくなります(笑)