2日目なんだから重いにきまってんだろ。

10時半ごろ起きる。
ニュースなど見て食事。洗い物を片づけて服薬してまた寝る。


16時ごろ起きる。
テレビ番組表を何気なく見たら「F2−X」で「こぶ平(秘)ゼータク食生活&涙の襲名」なんてのをやったらしい。またまたもう。
服薬してまた寝る。


19時ごろ起きる。
食事して洗い物を片づけてまた寝る。


23時半ごろ起きる。
母親と相談。日曜日は京成線上野駅池之端出口に10時待ちあわせ。午後じゃおれがきつい。しかしまあなんとなくおもったのだが、携帯が普及する前ってみんな待ちあわせとかどうしてたんだろうね。うちの母親は携帯をもっていない。もしおれがオールナイト明けで遅刻しそうになっても、彼女が家を出てしまったあとだったら連絡がとれない。となるとどうしても遅刻はできない。とかく便利になると人間はだらしなくなるものである。
あと、話は少々ずれるけれども、携帯が普及する前ってみんな電車のなかでなにやってたんだろうね。やっぱ読書かなあ。電車内での読書人口が減って、友だちとメールのやりとりをしたりネットでなにか楽しむ人々が増えたということだろうか。しかし紙媒体がなくなることはないだろう。ウォークマンの登場時にも紙媒体の衰退を危惧する声はあった。たしかに往時(いつだよ)ほどの隆昌から見たら現況は凋落したと言えるかもしれない。だが消えてなくなったわけではないのだ。そもそも音楽を聴くことと本(雑誌でも新聞でもよい)を読むこととを相容れないものとしてとらえるほうがおかしい。電車内や街中で音楽を聴く人間がまったく本を読まないわけではないし、両者を同時に行うことさえできる人間もいる。おれはできないが(id:mackerel_can:20050112)。
テレビの興隆によってラジオは消えなかった。ラジオはラジオにしかできないコンテンツをかんがえ供給してきたからである。同様に、インターネットの興隆によってテレビやラジオが消えることなどもないだろう。テレビやラジオとインターネットの融合による視聴者参加型のインタラクティブなメディアのモデルができたとしても、それが個々のメディアに依拠しているかぎりそれら自体がなくなることなど当分のあいだあり得ないのだ。


0時37分づけでサリーちゃんからメール。まあ季節柄お忙しそうですわ。レス。
寝だめの時期とはいえこれだけ眠ると、さすがにさらに寝ようとした場合は寝つきがわるくなる。寝だめの時期というくらいならそんなものを使わずしてたっぷりと眠れるんじゃないのか、そのかわりほかの日は眠れないんじゃないか、とかんがえるむきもあるだろう。一見正論のようだが、そんなに合理的に解決できるならそもそも睡眠障害などなるべくもないのだ。日ごろ睡眠障害を抱えているうえに月のものがくると大変厄介である。より言うなら、月のものが睡眠に影響をおよぼすこと自体、いや、睡眠に影響をおよぼすような月のものがくること自体、一種の大きな睡眠障害なのだ。
さて、こういう場合には睡眠導入剤ハルシオンなど)だけを使えばよいというものではない。それだと短時間で目が覚めてしまうことはおよそ経験則からわかっている。したがって眠剤をおもいっきりのんでみた。むしろオーバードーズ気味に。

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自分の本家サイトの掲示板にカキコ。

2時すぎに寝る。