重たいまま祖父に会ったからこうなのだろうか。

若松孝二ワンマンショー」の終映を見計らったかのように、5時46分づけで相方からメールあり。最後の「水のないプール」を見終えてホールから出て、携帯を確認してみたらこれだ。「起きてるぜ。良かったら連絡下さい。」48分づけでは着信もあった。お前はなんなんだ。とりあえず折り返し電話してみた。
というわけで一緒に飲むことに(笑)。まるで、ライブは見てないのに打ち上げだけ参加してる謎の関係者みたいなやつだ。何者だっつーの。
話題はもちろん見終わったばかりのワンマンショーの雑感。とりわけ、きのうの日記ではあまり書かないでおいたトークショーの内容についてチクリ報告をしてみたり。そして2人で爆笑していた。そりゃ笑うってあの話。
その他、まあホリエモンがどうしたとか時事関連の話など。さすがにもうおたがいにこぶ平の話はしなかった。
まあまあ飲んで9時半前には店を出た。じゃあねー。


上野へ。予定より早く到着したが、JR上野駅から待ちあわせ場所の京成線上野駅池之端出口まで歩いてたどり着いた途端、そこから供花を引っさげた母親が姿を現した。親子ってこんなふうにタイミングがあうもんかね。日ごろ一緒に生活していると、すれ違いのほうを強く感じるのだが。いや、すれ違いというのも「正反対のタイミング」であっていると言えるのだろう。
終映後どのように時間を潰していたのかきかれたのでありのままを話した。ちなみに相方はうちの母親ととても仲がよい。ときには調子に乗って2人で共同戦線を張り、おれをやり込めることもある。なんなんだあの結束力は。今回のおれの大怪我については、現状ではまだ入退院以降に2人が同席していないのでおのおのから個別に説諭を受けたにとどまっているが、早晩2人が一緒になってあれこれ言うのだろうなとおもうと大変気が重い。まあいい。
ほろ酔い加減で寺までぶらぶらと不忍池のまわりを歩く。どうせ墓のなかのやつも大酒飲みなんだからいいだろ。文句があるならこれからツラ見せに行くんだからそのときになんか言え。


寺について挨拶をして線香を購入。そして墓へ。
墓石に水をかけ、たわしで磨きながら爺さんに話しかける。全面に溜まった砂ぼこりを洗い流し、磨いてこすりながらあれこれと問いかける。「鈴木家之墓」と刻まれたその碑文のなかに砂ぼこりが溜まっている。それをたわしでこそげ落としながら、おれはなおも問い続ける。
そのうちになぜだかもう無性に情けなくなってきた。気がつくとおれは泣きわめきながら墓石をこすっていた。おれがやってることのなにがそんなに気に入らねえんだよ、そんなに気に入らねえなら殺しゃあいいだろうが、と。
母親はおれにたいしてなにも言わなかった。傍観していながらおれを制止しようともしなかった。
結局のところ、おれは爺さんと話をしてきたというよりは自分の不満をぶちまけてきただけにすぎなかった。返事はとくになかった。なにも感じなかった。これからどうなるのかわからない。生活のなかでまたなにか現れてくるのかも知れないし(また怪我をするとか)わかりやすい知らせがあるかも知れない。
そのあと不忍池のほとりで母親と少し話をした。おれの想いが通じたんだかどうなんだか、それもよくわからない。


しんみりとした話を切り上げ、鈴本演芸場に赴いた。演目は次のとおり。

落語:春風亭朝之助
曲独楽:柳家とし松
落語:古今亭駿菊
落語:三遊亭白鳥
漫才:大瀬うたじ・ゆめじ
落語:入船亭扇橋
落語:金原亭馬の助
ギター漫談:ペペ櫻井
落語:春風亭正朝
奇術:アサダ二世
落語:柳家喜多八
落語:春風亭勢朝
漫才:大空遊平・かほり
落語:橘家圓太郎

鈴本演芸場のオフィシャルサイトで発表されているものとは違うのだが、だいたいそれがつねである。なぜなら(ry
こんな具合で夕方まで落語・曲独楽・漫才・ギター漫談・奇術といろいろなものをたっぷりと楽しませてもらった。オールナイトで映画を見て、その後にこうである。24時間のあいだにこんなにいろいろなものを詰め込むとはどうなのかとわれながら呆れつつも、久しぶりに寄席を味わった。
しかし、ギター漫談はダメだった。おれがいま満足に弾けないから楽しめないというようなやっかみめいたものはとりあえず度外視してもダメだった。率直に言って、ギターの腕前はどうしようもなく下手である。とはいえ話芸が優れているかといえばそうでもない。ギター漫談「ごとき」にギターの技量を求めるのはおかしいというむきもあるだろう。いや、それは違う。たとえば、テクニックがあってこそコミックバンドが成立するというのは、もはや言わずもがなの「公理」なのだ。
ペペ櫻井のネタのひとつはこうだった。「冬のソナタ」のテーマソングの「はじめから今まで」をちょろっと弾いてみせる。そして言うことにはこうである。「こういうのを長調にたいして短調、マイナーと言うんですよ。別の言い方をすれば『ヨン様』って言うんです」
ギャグにもなっていない。なおかつ、弾いてみせた「はじめから今まで」が恐ろしく下手である。客のなかであの演奏を聴いて、瞬時に曲を同定できた人間がどれほどいただろうかというほどのものである。どうしたって笑うに笑えない。
そのほかでも同様なネタ運びをしつつ、演奏はミストーンだらけだった。
笑えるかよそんなもん。てめえ何年やってんだよ。おれの楽屋での遊びや打ち上げでの余興のほうが、ちゃんと弾けているだけましだ。あるいは堺すすむテツandトモのほうがよほどおもしろい。つくりこんだネタをしっかりやっているからこそ彼らはおもしろいのだ。繰り返すが、こやつは話芸も演奏もなっていない。客いじりもどうしようもない。
ここだけは本当に怒鳴りそうになった。おごってんじゃねえよ。長くやってりゃそれでいいとおもってんなら大間違いだ*1
そして、コミックバンドといえば先達はたくさんいる。クレイジー・キャッツしかりザ・ドリフターズしかりだ。また、モト冬樹エド山口兄弟が話芸にもギター演奏にも秀でていることは言うまでもない*2
まあいい。


18時半ごろ帰宅。

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ニュースなど見てみる。福岡で大きな地震があったようなので、酔っ払いだけれど生真面目な友だちにメール。彼女は福岡在住である。大丈夫なのかよ。
実は昼間春風亭勢朝の話のなかで福岡の地震のことがあったのだ。曙のK-1初勝利も勢朝の話で知った。寄席で時事ネタは枕にしやすいものである。みなが共有している話題をもってきてどうきかせるかということにこそ話芸が問われると言えよう。だが今回いみじくもおれが体験したように、噺家というのは本来仕入れてきた新鮮なネタを提供して話す、いわばニュースとして報じるキャスターのような存在ではなかったのだろうか。口へんに新しいと書くとはそういうことである。寄席とはニュースをきくコミュニティであり、また、嘘を嘘と見抜ける人々が集まっては噺がつまらなかったら野次ることも、場合によってはキャスターを降板させることも可能な、高度な双方向性を有したコミュニティではなかったのだろうか。


21時8分づけで彼女からレス。怪我はないようだ。
安心して寝る。

*1:天唾上等。

*2:あんたその程度で満足なのかとおっしゃるむきにはぜひともおれの過去の日記を読んでいただいてもらいたいものだ。