宿痾と別れる

5年前、2004年の夏、左の脛にできものができた。虫にでも刺されたのかなとおもい、そのうち治るだろうと高をくくって放っておいた。
しかしそれはいつまで経っても治ることはなかった。脛の骨の上にぷつんと膨らみがもち上がり、触ると鋭い痛みが肛門まで走りぬける。触らないでいたらどうかというと、時折忘れたころによりいっそう鋭い痛みが全身を駆け抜ける。これはいったいなんなのかとおれは訝った。霊障の一種ともかんがえ、いろいろ悩みぬいたのだが判然としない。悩んでいるうちに痛みは一進一退し、やがて規則性を示すようになった。どういう規則かというと、おれが性的にやましい想いを抱くと、決まって痛みが生じるのである。まるで孫悟空の頭にはめられた金冠のごとく、この小さな粒はおれに罰を与えるかのように苦しめて、そしてなにもなかったかのように去っていく。だが脛には厳然とぷつんと膨らみが残っているのだ。
これはいったいなんなのかとますます訝るようになったおれが、この異物について最終的に出した結論は「宇宙人がおれの性的妄想を監視するために、脛にチップを埋め込んだ」というものであった。
まあ、およそこんなことを人に言うと呆れられる。呆れられるならまだいい。多くの場合気狂いあつかいだ。
(中略)
2007年の2月、いい加減これをなんとかしようと、皮膚科医の診察を仰いだ。医師は「これはね、われわれの世界では××××っていうんだけれども……」と専門的タームを早口で発したあと、塗り薬を処方する旨を告げた。いつものおれなら、医師の言葉をきき返してこれはどのような疾病なのかと質問するところだが、このときはこれでなんとかなるのかなあと、ともあれひと安堵した。それで終わってしまった。
しかし、これがまったく、なんともならなかったのだ。チップが小さくなるわけでも消えるわけでもなかった。なんともならないまま、どうなるのかなあと漫然とおもいながら日々をすごす。
そしてさらに2年が経った。チップが引き起こす痛みはますますひどくなり、もはや「性的にやましい想い」を抱いたかどうかなどお構いなしに、こいつはおれを痛めつけるようになっていた。真面目に原稿を読んでいると、突然ずきんと痛む。近所を歩いていると、いきなり痛むのでおもわず飛び退き、道端のうんこを踏まずにすむ。こんな生活はもうやめようとおもい、おれはまた、同じ皮膚科医の診察を仰ぐことにした。なぜ同じ医師を選んだかというと、ほかを探すのが面倒だったからだ。
診てもらった結果、このチップを手術でとり除くことになった。「これはね、皮膚の組織が固まっちゃってて、薬塗っても駄目だから。切ってとるしかないよね」と医師はこともなげに言った。2年前におれがどう言われたかは触れずにいることにした。おれ自身この5年間幾度となくこれをナイフで切り落としてやろうかとおもったほどなので、ようやく切ってもらえるのかという安心でいっぱいだった。
そして手術の日程を組んでもらい、本日とってもらってきた。これで積年の宿痾に別れを告げ、いよいよ本当に痛みから解放されるのかとおもうと実に嬉しいのだが、これで終わりとならないような気もしてならない。
キシロカインを打たれて、痛覚はないのに触覚があるという不思議な感覚を、およそ20年ぶりに味わった。痛くはないのに、自分の体が切られていることはわかるのだ。これは相当気持ちわるいものである。こういう体験を人生において何度も繰り返すのはおかしいのではないかとおもうのだが、貴重なものとして受け止めたいところだ。
あしたからはいろいろなものが軽くなっているといいのだが。