(unexpected)

「ブログの普及で、もはや一億総ライター気どり、カメラマン気どりだよな」
「ほんとそうですよねぇ」
という話を後輩編集者としたことがある。だれもが情報発信できるというのがインターネットの特性であるが、それによって現代人の読み書きのリテラシー*1が向上したのかとなると、おれは大きな疑問を抱いている。むしろ下がったのではないのか。言葉をもって情報を発信するということに特権性があった時代、その権力とどのようにつきあうかがつねに問われてきたはずだ。しかし今日、世界へ言葉を投げかけることが実に容易となった一方で、自己の発言の権力性を意識することがきわめて困難になっているようにおもう。
平易に言えば、ブログは大衆の放言を拡大するツールに成り下がっているという現状があるわけだ。匿名掲示板の無責任さとまったく同質の悪しき精神の放縦さが、ハンドルを用いているという記名記事であるにもかかわらずそこかしこにはびこっている。責任の所在などまるで明確ではない。「マスゴミ」などというスラングで既存メディアを嘲弄しながら、放言を諌められると「こっちはプロじゃないんで」「っていうかマスゴミだってやってるし」「はいはいw」などと返す輩がどれほど多いことか。書いたものを公にするのならば、それで金をとろうととるまいと発言にたいして責任をもつのが当然だ。こんなごく当たり前のことすら履行できない連中がマスコミを軽んじ、延いては政治家や官僚の不誠実を揚言するなど笑止千万なのである。それが天を仰いで唾することだとは、連中はおよそ想像だにしていないだろう。言葉をもつということはひとつ武器を手にすることと同じなのであり、そのあつかい方にはしかるべき作法が存在するのだ。そして、それを正しく身につけていなければ、間違いなく自他ともに生命の危機にさらされるのである。したがって、自分自身および周りの人々の生命を脅かす言葉遣いとはどういうものかということを自覚し、公益に与するような発言のあり方を学ぶ必要がある。自己の発言の権力性を意識するとはそういうことだ。
「悪しき精神の放縦さ」がネットを踏み出して社会生活を侵食している例は今日多数見られる。ブログに引きつけて言えば、グルメブログがおよぼす飲食店への「被害」は相当なものではあるまいか。風評が爆発的に伝播するという側面のみならず、食事をとる人間のマナーを著しく低下させているという側面が、料理を楽しむべき空間に深刻な負の影響をもたらしている。たとえば、料理の写真を撮ることは、ありていに言えばマナー違反ではないのだろうか。撮っている本人は、目で味わったうえにさらに撮影することでよりいっそう楽しみを倍加させているのかもしれない。しかし、隣でそんなことをされては興ざめするという人がいることも事実だ。写真撮影が公益に反する行為となる可能性があることは言うまでもないのだが、自分が食したものをもれなくカメラに収め得意気に写真を貼っているブロガーは、おそらくわるいことをしているなどという意識は微塵も感じていないだろう。げに恐ろしきは厚顔である。食欲の皮がつっぱるとこうも見苦しいものか。いや、平素からいかに己の身を律するかという心構えが完全に欠落しているがゆえに、自分がやっていることがマナー違反であるかもしれないなどと省みることなどまったくないまま、野放図な振る舞いを繰り広げているというのが妥当なところだろうか。実に嘆かわしい。おれがかねて憂慮しているブロガーズ・イノセンス(blogger's innocence)というのはそういうことだ。

*1:リダンダントな言い方だが仕方ない。