これもまた節目とかんがえてみる。

昼間、脳神経外科の外来診察をまだかまだかと待っている最中、待合室でおもわぬ顔を見かけた。
おれの叔父である。にわかにいやな予感がした。
「どうしたの? 風邪?」
予感は的中した。おれの体調を気遣う叔父の後ろを、少し離れながら追うようにして歩いてくる男が目に入った。
父親である。
左膝の靭帯断裂でこの病院に通院しているということはすでにこのブログでも触れているが(id:mackerel_can:20050104 id:mackerel_can:20050108 id:mackerel_can:20050114)まさか鉢合わせするとはおもっていなかった。なぜならここの病院の整形外科の外来診察は全日午後のみであり、まして以前きいた限りでは木曜日に受診しているなどという話は一切なかったからだ。実にけったくそわるい。鉢合わせというよりもまさにbuttingである。反則である。bollocks!
しかしまあ少なくとも故意ではないだろう。叔父がおれを風邪かとおもったように、親族のなかで今回のおれの怪我を知る者は母親と妹しかいないからである。また、この2人から情報が漏れる可能性はきわめて低い。
やがて叔父に追いついた父親は、おれの姿を認めると努めて平静をつくろい、精一杯屈託のない顔つきをこしらえておれに話しかけた。
「よう、久しぶり。おめでとう。きょうはね、包帯替えにきたんだ」
おれがなぜここにいるのかということをこの男は尋ねない。とりあえず自分の話ばかりする。叔父とは対照的だ。
ひとしきり自分の怪我についてまくし立てたあと、ようやく父親はおれに質問をした。
「仕事はどうしてる? 塾の先生はやってるのか?」
「もう1年前に辞めたよ」
「なんだよ、よく変えるなあ。まあなにやっててもいいけどさ、おれがいつも言ってるのは『一引き、二金、三器量』ってな、それ」
「引きに導かれて辞めたんだよ。おかげさまでね」
微苦笑を交えなかば呆れたようにおれの生活ぶりを言い下すやいなや自分の処世訓を語りはじめたので、おれは遮って割り込んだ。子どものころから幾度となくきかされてきたものをまた、しかも病院の診察待ちのあいだにきかされるのはまったくもって忌々しいことこのうえない。
父親の言う『一引き、二金、三器量』とは、世渡りにおいて最も大切なのは他人の引き立てでありその次は財力、自分の能力や力量なんてものは二の次だ、という金言めいたものである。内容そのものについて、おれはそれほどわるいものとはおもってはいない。ただ、この男がこれを口にしたときに意味するところは、要はコネを利用して金をばらまけば自分の器など関係なしに世路は開けるという、古色蒼然とした田舎の政治家の理とおよそ違いがないのだ。他人の引きがあればそれに報いることは必要だろう。無形の援助に有形の財で応えることもあり得るだろう。しかし、基本となるべきは、引きにたいする感謝ではないのか。満腔の謝意をもって旨とすることこそ人の理ではないのか。
『金言耳に逆らう』と言うが、おれはこの父親の言葉を見事なまでにきき入れなかった。
おれの怪我の治癒がひとつの節目を迎えたこの日に数年ぶりにこの男に出会い、このように自身を見つめ直すことができたのもなにかの啓示であろう。