なにに導かれなにに当たり、それをどう読むか。

浅草寺で引いたおみくじは次のようなものだった。番号は、わざわざ実物を確認しに行く物見高い輩が現れると迷惑がかかるので伏せる。


第○△□ 吉
★原文と読み下し文(訓点は縦書きでなければ無理なので省略)
異夢生英傑
いむえいけつをしょうず
前來事可疑
ぜんらいことうたがうべし
芳菲春日暖
ほうひしゅんじつあたたかなり
依舊發殘枝
きうによりてざんしにひらく
★解説文(付記されたものによる。原文ママ
せんまん人にすぐれたる人をゆめに見たるなり
さひわひをゑたるにつけ是までは何ゆへにふし合なりかと、うたがうなり
はるの日のあたたかなるに、はなのにほふごとくさひわひきたるなり
かれたる木にも又はなさきたるなり、めでたきずいそうなり
★口語訳(付記されたものによる。原文ママ
優れた人を生む、良き夢を見ることとは、神仏の加護による幸運の訪れの暗示です。
この幸いを得たことが、昨日の我が身と比べ、信じられないでしょう。
春、暖かくなり、菜の花の匂いがするように、幸いがやってくるものです。
枯れた木にも花が咲くようにめでたいことが起りそうです。只、自重が大切です。


いまのおれの状況にこれほどまでに相応しい言葉があるだろうか。おみくじは引く者の精神状態に多分に影響されるとおれはつねづねおもっているが*1、これを引き当てたいまのおれは、引き当てるべき精神状態にあったということなのだ。それもすべて、今回の怪我を経て自分のやるべきことを見きわめ悟り、祖父に詫び許しを乞い今後を誓った結果がこのように現れているということなのである。
「他人の引き立て」ってのは本当はそういうことなんだよ、親父。自分がなにをかんがえどのような心のもち方でいるか、それに応じて「引き」はやってくるんだ。さらには、自分をそのような状態に高めもっていくことは、なによりも自分の器量のなせる業なんだよ。もちろん周囲の人々のおかげでもあるけれどな。(id:mackerel_can:20050120#p2)
母親におみくじを見せたところ「いままでのお前は枯れてたんだねえ」と言われた。そうかも知れない。自分がやるべきこともわからないまま迷いながら生きてきて、本当に生きるべき生を全うしていなかったのなら「枯れていた」とも言えるだろうし、より言うなら「満足に生きていなかった」とも言えるだろう。それが今回の怪我を契機に変わったのである。
変わったというのはおもいすごしであり、やるべきことを見出したというのも勘違いであるならば、いずれまた仕切り直しをするだけだ。しかるべき時期にまた見直し、やり直せばいい。
やり直しのきかない過去など存在しないのだ。

*1:陳腐な言い方をすると、引く者の「霊感」が働いてそのくじを引き当てた、とでも言えるだろうが、おれは自分が占術を用いる際には霊感というものをほとんど排している。ただし、断っておくがこれはたんなる「霊感否定」ではない。